furijunのブログ

台湾太極拳、気功を長年やっています。自分と周囲の健康にコミットした仕事をはじめたいと思っているので、このテーマでブログをスタートしてみました。

ゼロで死ぬ

ゼロで死ぬということ

今日は、「ゼロで死ぬ」というテーマについて書いてみたいと思います。

昨日、マレーシア駐在時代の友人たちと久しぶりに会食する機会がありました。その中の一人から、『DIE WITH ZERO(ゼロで死ぬ)』という、昨年ベストセラーになった本を紹介されました。私もその本を読んでいたので、その話題で大いに盛り上がりました。

友人たちは私と同世代で、皆それぞれ定年後の働き方を模索しています。「定年後に時間を持て余すのが嫌で、何らかの形で働き続けたい」と口をそろえて言っていました。こうした考えを持てること自体が、実はとても恵まれた環境にあるのだという自覚も、皆持っています。というのも、世の中の多くの人は生活のために働かざるを得ないからです。

だからこそ、私たちのように少し余裕のある人間が、世の中を良くするために何ができるかを考え、実践していくことには意味があると思うのです。

「ゼロで死ぬ」とは何か

『ゼロで死ぬ』という考え方は、生活に必要な以上のお金は持ちすぎず、使うべきときに使い切って人生を終える──というものです。あの世にお金は持っていけません。だったら、そのお金を「生き金」として、人の役に立つように使い、人生を豊かにしていくことの方がよほど価値があるのではないかという考え方です。

実際、莫大な資産を抱えたまま老後を過ごしている人は、ある意味で“社会における無駄”を生み出しているとも言えるかもしれません。お金を回すことが経済を回し、誰かの雇用や生活に繋がっていくからです。

お金を使うことの難しさ

とはいえ、お金を「上手に使う」ことは、実はお金を「稼ぐ」ことよりも難しいのかもしれません。誰かに喜ばれ、感謝され、社会にプラスになるような使い方ができたとき、はじめて「良いお金の使い方ができた」と言えるのではないでしょうか。

皆さんはどう思いますか?

「ゼロで死ぬ」という考え方について、皆さんはどう受け止めますか?

もちろん、価値観は人それぞれです。正解はありません。私自身も、この考え方がすべての人に当てはまるとは思っていません。中には、今を生きるのに精一杯で、「お金の使い方」以前の問題を抱えている方もきっといらっしゃることでしょう。

それでも、もし少しでも心や生活に余裕が生まれたときに、「自分にとっての豊かな人生とは何か」「お金をどう使えば誰かの役に立つのか」といった問いに向き合ってみるのも、一つのきっかけになるのではないかと感じています。

皆さんの考えも、ぜひ聞かせていただけたら嬉しいです。