furijunのブログ

太極拳と気功を続けながら、健康と精神の安心を届ける仕事を模索中。日々の気づきをブログで共有しています。

AI時代に残る仕事とは

昨日は一日、確定申告の作業をしていました。

今回は、不動産、株式、ビットコインなど、いくつもの損益計算があり、自分でやってみると想像以上に時間がかかりました。

それでも、AIのおかげで一人でも申告ができることが分かり、とてもありがたく感じています。これを税理士に依頼すれば、それなりの費用がかかります。

もちろん、専門家にお願いする価値はあります。しかし、自分で作業をすることで税金の仕組みを理解できるという利点もあります。

特に、不動産取得費用のうち、どれが経費でどれが資産計上なのか。こうした判断は、以前であれば専門家に聞くしかありませんでした。

今は、AIが整理のヒントを与えてくれます。

税理士や司法書士の仕事の一部は、今後AIに置き換わっていくのかもしれません。今回、その現実を改めて実感しました。

しかし、すべてがAIに置き換わるわけではないとも思います。

私は現在、戦略コンサルのO氏と顧問契約を結ぼうとしています。戦略コンサルも、ある部分はAIで代替できる時代になりつつあります。

それでも私は、有料であっても契約しようと考えています。

なぜなら、O氏との壁打ちによって、AIだけでは到達できない思考の深さに辿り着けると感じているからです。それは単なる情報ではなく、「私の文脈」を理解した上での対話だからです。

一方で、以前、不動産の税申告でお願いしていた税理士については、今後は依頼しないと決めました。

申告そのものは正確でした。しかし、私が本当に欲しかったのは「考え方」でした。

例えば、2024年に私は金を売却しました。今でも考えるのは、あの年に一括で売却すべきだったのかという点です。

価格が上がったかどうかではなく、一括売却したことで翌年の住民税負担が大きくなったことです。

売却前に相談はしましたが、その後の税負担まで踏み込んだ助言はありませんでした。

結果的に、自分で申告をしたため、その事務所には報酬を支払っていません。

しかし、もし売却前の戦略まで含めて助言してくれていたなら、相談料を払ってもよいと思っていました。

申告処理はAIでも可能です。しかし、「いつ・どう動くか」という戦略判断は、人の領域なのかもしれません。

税理士という仕事も、これからは「処理」だけでなく「思考の伴走」が求められる時代になるのではないでしょうか。

そしてそれは、独立後の自分にもそのまま当てはまる話です。

正しい答えを出すことではなく、相手の意思決定を支えること。そこに価値がなければ、仕事は残らないのだと思いました。

親の独立、子の自立

今月末で、長く勤めた会社を退職することを決めました。

ふと考えました。
この節目を、家族の節目と重ねられないだろうか、と。

私には成人した息子がいます。
彼は今、自立に向けてもがいている最中です。
大人になりきれない自分を責めているようにも見えます。

私は思ったことをすぐ口にしてしまう性格です。
その言葉が、知らず知らずのうちに彼の心を傷つけてきた可能性もあります。

けれど、心の傷は本人にしか癒せません。
それも分かっているはずなのに、踏み出せない。
親とつながっていないと不安だから。

そして気づきました。
その不安は、私が「会社とつながっていないと不安になる」心理と、どこか似ているのではないか、と。

だからこそ、自分が区切りをつけることに意味があるのかもしれない。
それは、人生で初めての「本当の独立」だからです。


若いころ、私は家庭の事情もあり、誰にも相談できないまま就職を決めました。

住む場所も働く環境も、自分で決めました。
あのとき、私は自立したのだと思っています。

けれど、生活は会社に依存していました。
だから、それは独立ではなかった。

今回は違います。
組織から離れ、自分の意思で立つ決断です。


子どもが家を出ることと、親が組織から独立すること。
形は違いますが、どちらも「つながりから一歩離れる」という意味では似ています。

ただし、大切なのは、相手を動かそうとすることではありません。
自分が、自分の人生を選ぶこと。

まず自分が変わること。
人を変えようとする前に、自分が変わる。

今回の節目は、それを改めて確認する機会なのかもしれません。


誰かが変わるかどうかは、その人の決断です。
けれど、自分が変わることは、自分で決められる。

独立とは、誰かを動かすことではなく、自分の足で立つこと。
その姿が、結果として何かを伝えることがあるのかもしれません。

会社の辞め方-一本芯を通すということ

人事と、3月末退職という覚書に調印しました。
これで、私の35年間の会社との関係は、静かに区切りを迎えます。

なかなか、ここまできれいにはいかないものです。
58年の人生の半分以上を、その会社とともに歩んできたのですから。

振り返れば、私はずいぶん自由にやらせてもらったのだと思います。
いや、正確に言えば、会社という器を使って、自分のやりたいことをやってきたのかもしれません。

35年間、何を考え、どんな失敗をし、どうやって乗り越えてきたのか。
それをうまく言語化できれば、誰かの役に立つこともあるのではないか。
そんなことも、最近は思うようになりました。

その話は、また別の機会にします。


今日、象徴的な出来事がありました。

同期の一人が、私の席にやってきて、
「2月末で退職することにした」と告げました。

なぜ3月末ではないのかと聞くと、
3月末までいれば、夏の賞与の一部を受け取れる。
それでも、自分の意地として受け取らずに去ると決めたのだと言います。

大阪に戻り、60歳からは年金を受け取りながら、ボランティアでもやるつもりだと。

以前から、彼が会社に葛藤を抱えていたことは感じていました。
器用な性格ではありません。
けれど、彼なりに誠実に仕事をしてきたことも、私は知っています。

悩んだ末の決断だったのでしょう。

私は「お疲れ様」と伝え、
「自分もすぐに後を追うよ」と声をかけました。

もしかすると、もう会うことはないかもしれません。


不思議なのは、
私が退職の契約を結んだそのタイミングで、彼が現れたことです。

偶然かもしれません。
けれど私は、何かの示唆のようにも感じました。

これからの第二の人生で、
私が向き合うべきテーマを、静かに示されたような気がしたのです。


昔は、定年まで勤め、
惜しまれながら去ることが一つの美学でした。

しかし今は、会社そのものがどうなるか分からない時代です。
会社に面倒を見てもらうという前提は、もはや成り立ちません。

所属しながらも、自立する。
自分で考え、自分で次の役割を選ぶ。

そういう時代に入ったのだと思います。


彼は、賞与という権利を手放し、
自分の意志で会社を去る道を選びました。

どこか武士のような潔さがあります。
不器用でも、一本芯が通っている。

私の辞め方は、彼とは違います。
けれど、私なりに一本芯は通したつもりです。

これから歩む道は別々です。
それでも、それぞれが自分の選んだ道を歩いていく。

会社を辞めるというのは、
肩書きを失うことではなく、
自分の生き方を選び直すことなのかもしれません。

最後の予算会議

会社での最後の予算会議に出席しました。その会議が終わったあと、二週間前に打診されていた早期退職の提案を受け入れる旨のメールを、本部長に送りました。

改めて予算会議に出席し、私の役割はこの会社にはもうないのだと、静かに確認した時間でもありました。

私の役割は、新しい仕組みや新しいビジネスを設計することです。しかし、会社は本当の意味で新しいビジネスに取り組む覚悟ができていない。ここで言う覚悟とは、「損失を受け入れる覚悟」のことです。

ビジネスには必ずリスクがあります。やってみなければ分からないことも多い。それを前提に、腹をくくって進むのか、進まないのか。本来は、そこまで踏み込んだ議論をしなければなりません。

ところが、覚悟がないために、議論はその深さまで到達しません。今回の予算ヒアリングも、私が以前から感じていた通り、戦略を議論する場というより、感覚論と体裁を整えるためのヒアリングに終始していました。

私は2022年10月にこの部門に赴任し、今回で4回目の予算会議への参加となります。昨年までは幹部会にも出席していましたが、そこで交わされていた議論も、毎年ほとんど変わっていませんでした。

この部門には三つの部があります。

一つ目は、従来型の原料を扱う部です。数字が足りないからと、上位者は積み上げを求める。しかし、現場は根拠がないとして拒否する。そのやり取りが、皆の前で繰り返されます。

正直に言えば、こうしたやり取りは、かなりの部分をAIで代替できるのではないかと感じました。

二つ目は、属人性の高いトレーディングを行う部です。ここは、AIにはできない仕事をしています。一方で、人に依存しすぎているため、持続性には常に疑問符がつきます。

現場責任者が状況を説明しても、上位者は根拠のない数字の積み上げを求め、現場はそれを無謀だと訴える。半ば投げやりにも見える空気の中で、昇進をちらつかせながら数字を求める場面もありました。

横でそれを聞いている管理職のモチベーションも、決して高くはありません。役職定年を迎え、再雇用となり、給与が下がっているからです。

本来であれば、どうすれば事業をサステナブルにできるのかを考える立場です。しかし、そのためのアイデアは、最後まで示されることはありませんでした。AIを使って属人性を減らす戦略を描くことも、本来は可能なはずですが、そうした発想が出てくるタイプではありませんでした。

三つ目が、私の所属していた部です。ここにはビジネスの種は多くありますが、どれもまだ花開く前の段階です。資料は整っていますが、実態としては調査色が強く、将来は別の部署と統合される可能性も高いと感じています。

メインとなっている既存事業があるうちに、次の投資につなげたいという思いは共有されています。しかし、それができなければ、開発要員を維持することも難しくなります。

この部の中で、私が果たせる役割は、もうありませんでした。

ここまで書くと、愚痴のように聞こえるかもしれません。しかし、私が言いたいのは、これは一社だけの問題ではない、ということです。

多くの会社は、過去から続くビジネスを回し続けるか、属人化したトレードに依存するか。このどちらか、あるいは両方で成り立っています。それを効率化するために投資をすることはあっても、ビジネスモデルそのものを変えることは、簡単ではありません。

なぜか。

新規事業は、従来とは異なるOSで動かさなければならないからです。しかし、そのOSを導入し、失敗した場合の責任を取ろうとする人が、ほとんどいません。そこに、覚悟のなさが表れているのだと思います。

皆さんの会社では、これまでとは違う意思決定の方法を取り入れることができるでしょうか。それができないことこそが最大の問題であり、逆に言えば、これから人に残される仕事は、この「OSを書き換えること」なのかもしれません。

最後の予算会議に出席し、本部長に自分の役割が終わったことを伝えました。

これから私は、会社の外に出て、OSの書き換えを支援するような仕事をしていきたいと思っています。

 

一日一項を静かに止める日

一日一項は、2007年2月15日から書き始めました。
今からちょうど19年前のことです。

私は来月3月末で、35年間勤めた会社を辞めることになります。

この20年近く、ほぼ毎日続けてきた一日一項。
一日一項という言葉は、本多静六氏が考えた言葉で、20年前に読んだ彼の書籍に感銘を受け、それ以来、自分なりに続けてきました。

振り返ってみると、この習慣のおかげで、今の自分があるのは確かだと思います。

一日一項を書くことは、私にとって、サラリーマンとして日々をこなすためのものではなく、少し引いた視点で物事を考えるための時間でした。
結果として、それは経営者的な思考に近いものを育ててくれたようにも感じています。

だからこそ、会社を辞め、そのまま起業という選択に対しても、過度な不安を抱かずに向き合えているのかもしれません。
少なくとも、自分の中では、時間をかけて準備してきたという実感があります。

本多静六氏は、書籍の中で、ある時点で一日一項をやめたと書いています。
理由は、「自分にはもう必要なくなったから」だったと記憶しています。

今の私は、その感覚が少し分かる気がしています。

一日一項を書き続けてきたことで、会社員として過ごす中で生じる迷いや揺れを、言葉にして整理することができていました。
それは、精神的な安定につながっていたのだと思います。

一般には、サラリーマンの方が自営業者より安定していると言われることが多いかもしれません。
実際、そう感じる人も多いでしょう。

ただ、私自身の経験としては、サラリーマンであるがゆえに、割り切れない思いを抱えたり、心をすり減らしたりする場面も少なくありませんでした。
そうした感覚を、そのままにせず、一日一項として書き留めてきたことには意味があったと感じています。

お金を得る代わりに、時間や役割を会社に預ける。
それ自体が悪いわけではありませんが、どこかで自分の心の置き場所を見失わないようにする工夫は必要だったように思います。

私にとって、一日一項は、そのための一つの方法でした。
結果として、35年間、自分なりに折り合いをつけながらサラリーマンを続けることができたのだと思っています。

だから、4月以降は、無理に一日一項を続けなくてもよいのではないかと感じています。
これからは、書くことで自分を保つというよりも、日々の選択そのものを大切にしながら過ごしていくことになるのだと思います。

残り1カ月。
会社を辞めるまでの心の動きを感じながら、最後の一日一項を、静かに書いていくつもりです。

第二の人生で、いま気づいていること

第二の人生に向けて、着々と準備を進めています。

それ自体は前向きなことなのですが、 ふと、家族への気遣いが足りないのではないかと思いました。

というのも、 私が第二の人生に踏み出すなら、 妻にも同じように踏み出してほしいと、 無意識に期待していたかもしれないからです。

妻には「第二の人生」という区切りはありません。

専業主婦として、 三人の子どもを育て、 家庭を守ってきました。

私が会社を退職した後、 会社を立ち上げて働き続けたいと話したとき、 彼女は自費で講師養成コースに参加しました。

夫婦で始める会社の力になれれば、 という思いからです。

でも、それが本当に彼女自身のやりたいことなのかどうかは、 私には分かりません。

本人も、今も問い続けているようです。

「これは本当に私がやりたかったことなのか」と。


もう一つ、彼女が気にしていることがあります。

それは、退職後、私が毎日家にいることです。

これまで自分のペースで守ってきた空間に、 夫が入ってくる。

どの家庭にもある話かもしれませんが、 戸惑いがあって当然だと思います。

妻は言います。

「家庭ではあなたは新人だからね」と。

確かにその通りです。

何十年も家庭を守ってきた彼女の領域に、 私が無自覚に入り込めば、 居場所を荒らされたと感じても不思議ではありません。

私は彼女の決めてきたルールを壊さず、 自分の関わり方を新しく考える必要がある。

そう思うようになりました。


実はこれは、長男への態度にも通じている気がします。

社会人になったら自立すべきだ、 という私の考えを、 無意識に強要していたかもしれません。

でも、自立は強要されるものではありません。

自分の意思で踏み出してこそ、 意味がある。

会社が私に早期退職という形で「後押し」をしてくれたように、 私は長男に対しても、 後押しをする立場であればいいのだと思います。


第二の人生を踏み出すとは、 自分の挑戦だけではなく、 家族との関係を再構築することでもあるのかもしれません。

役割を再設定するのは、 仕事だけではなく、 家庭も同じです。

この移行期の経験は、 誰にでも訪れるテーマではないでしょうか。

うまく次の人生へ移るために。

今日は「家族との再設計」という視点から、 考えてみました。

ご縁は切らず、執着もしない

先日、私は直属の上司に、今月末で会社を退職することを直接伝えました。

すでに人事とは正式な手続きを終えていましたが、あらためて自分の言葉で伝えたかったのです。

少し驚いた様子でしたが、静かに受け止めてくれました。

その上司とは、特別なご縁があります。

十年以上前、海外出張中に突然体調を崩し、命の危険にさらされたことがありました。

そのとき、彼は現地に赴任しており、とっさの判断で大きな病院へ搬送してくれました。

結果的に一命を取り留めましたが、あのときの行動がなければ、今ここにいないかもしれません。

私にとって、忘れることのできない出来事です。

その後、彼はある部署の責任者になりました。

私はその一年間、まるでフリーランスのように自由に働かせてもらいました。

ところが彼は、「こちらこそ助かった」と言ってくれました。

社交辞令もあるかもしれません。

けれど、数字が厳しい状況の中でも私を残そうとしてくれた事実は、本心だったのだと思います。

退職後についても、「外で実績を作ったら、また一緒にできることがあるかもしれない」そんな言葉をもらいました。

ありがたい提案でした。

しかし同時に、私は決めています。

一度、関係はきちんと終える。外の世界で、自分の足で立つ。

その上で、もし再びご縁がつながるなら、それは自然な流れに任せたい。

追いかけるのでもなく、断ち切るのでもなく、静かに手放す。

それが、今の私の心境です。